車谷の文集

どちらかと言うと考え過ぎるタイプの人

四、恋

今回もお読み頂きありがとうございます。

 

ふと前の三つのブログを読み返しました。僕、なんで食っていくことばっかりの話をしているのでしょう。今僕は痩せている途中だと言うのに。やはり食欲に勝るものは無いのでしょうか。結局はそういう事なんでしょうか。辞めてください痩せたいので。

 

今回僕がお話しするのは今までの話とは打って変わって、「恋愛」の話。みんなが一番好きなやつ。

今まで趣味の話、自由の話、そして全体を通して食っていくこと・何かを追い続ける事に関して思ったことを話してきた。でも僕はこの話題を避けて通れないような気がする。だって何をするにしても結局はどっちを取るんだって言う天秤に常にあるような気がするから。

最近良く思う。僕も大人になったなと。何かを理由にして好きな事を抑えるって子供にはできない事だ。ここで話す事なのかは分からないが過去の恋愛はそのようにして別れも訪れた。正直正解もわからないしどうすればベストだったかなどいくら考えてもキリが無いので頭を使うだけ勿体無いと思うようにした。

純粋な好きと言うその感情を相手に伝える難易度が年々上がっていくのは多くの経験を通して「相手はきっとこうだろうな」と身勝手な理由を作ってしまうからであろう。その理由の数が年を重ねる分だけ増えるのだ。むしろそんな事なしに子供の頃のように「〇〇君/ちゃん好きー!」などという蛮族は大人の世界にいたらかなり事件性が高い。

でも良く考えてみれば何故恋というのは自分で難易度を上げてしまうのだろう。

もっと簡単に分かりやすく誰にでも出来るものであればいいのでは無いだろうか。テンプレートがあれば分かりやすくていいのでは無いだろうか。

と、いう問題でも無い。決して"異性を好きになる"と言う事が定義でも無いこの世の中で愛の在り方など誰かが決め付けていいようなものでは無い。誰を好きになってもいいし何と一緒にいたっていい。それが難易度を上げる一つの要因である事は恐らく間違いない。でも、時には楽をしたい。簡単であればつまらない、複雑であれば楽しいと言うものでも無いが簡単で楽しい時も必要だと言う事が大事なのだろう。

どんな人がタイプか、どんな人を好きになり、どんな人と一緒にいたいかと言う質問が良くある。それには一応答える。それっぽく。だがはっきり言うとタイプなど無いし本質的にこう言う人ばかり好きになると言う人は殆どいないのではと思ってしまう。もし本当に「タイプはこう言う人で」と決まっているのであればそもそも毎度同じ事で悩まない筈だ。

結局は同じことで何度も悩むし同じ事でぶつかる。何人と付き合っても毎回ぶつかる壁はいつも同じ。そう言う人が多いだろう。そんな事を考えているうちに思い出す事が沢山あるが、そう言う話を今したい訳じゃない。どきしょい話をするためにブログを書いている訳では無い。

僕がどんな経験をしたかなど笑い話にしかならないだろうが僕なりに好きだった人がいるしきっと皆の中にも心にしまっておきたい魅力的な人というのはゼロでは無いだろう。そんな人を見つける事ができた事を宝にしようでは無いか。

 

皆が等しく同じ経験をしているのであれば同じ寂しさは訪れないしきっと楽しくも無いだろう。皆が違う感性を持ち、違う世界を生きているからこそ他人の話は面白いのであって興味深いものだと思う。

忘れてもいいし鮮明に覚えていてもいいし未練が残っていてもいい。何が良くて何が気持ち悪い事かなど所詮はこちら側の物差しで測っている事を

だからあえて言うが私は世のおちんちんマスターも否定していない。彼等彼女等にとってそれが一番今楽しい事なのだろうから。

 

恋というものは、物語として捉えてもまた面白いのでは無いだろうか。