車谷の文集

どちらかと言うと考え過ぎるタイプの人

ニ、自己中心的な自由

今回もお読み頂きありがとうございます。

 

趣味、趣味、趣味、趣味......先日の投稿でもう皆十分に頭がおかしくなっている頃だと思う。しかし安心して頂きたい。今回もまた更に頭のおかしくなるものにしていけたらと考えている。最後までお付き合い宜しくお願いします。

 

前回に引き続き、聞いたところでどうでもいい問いかけから始めよう。

この歳でまだそんな事を言うのかと思うかもしれないが、皆が追い求める自由というものは一体何なのだろうか。自由というものの正体・本質を僕なりに考えてみた。

結論から言おう。

「自己中心的である事。傲慢。」

これの事だと思う。なぜこの結論に辿り着いたのかを説明しよう。もう既に"自由"については語り尽くされているし、色々な意見があるので、今回の僕の投稿についてもまた自由に対する考え方が一つ増えたようなものなのであしからず。

では、具体的に「自己中心的である」とはどういう事なのか。単純に自由と感じるタイミングは人それぞれ違うし、"同じ状況に置かれていても求めるものは違う"という事だと思う。

某巨人系少年漫画で例えよう。主人公やその周りにいるキャラクター達はきっとこう思っていただろう。「巨人を駆逐する」「圧倒的な強い力を手に入れる」「平和な日常を取り戻す」「この状況を打開する」

実は志は皆同じで、要するに過去の生活や幸せと比較して過去の方が良かったと思うから今を変えようとする。だが、辿り着いた先にどうなりたいのか、どうすればもっと自分らしくいれるのかと言う事は人によって大きく違う。強さを求めた先に、平和な日常を取り戻した先に彼らがどうなっていったかは各々違うはずだ。

手っ取り早く自由を得る、もしくは自由だなと感じるには彼等のように考えによって道が分かれていく状況を覚悟しなければならない。つまり本当に自由になりたくて生きているのであれば、わがままに、自分のやりたいように、自分に都合の良いように、自分だけが得するように、傲慢に。このような生き方が必要なのかもしれない。

ただしこれは非常に注意しなければいけない。一歩間違えばちゃんと友達に嫌われてしまうし、

「お前歳考えろよwwwww」

となってしまうのは正直目に見えている。これが自由を残酷にする理由なのだろうと思うが、自由に向かっている人にそんな事を気にしている暇などないはずだ。そのような人に周りを気にする余裕はない。それは良質な友好関係を築いていれば大した壁ではない。

 

ここまでの話、例えが下手糞で申し訳ないが伝えたい事が少しでも理解して頂けたら嬉しい。

最後に後味の悪い話をして終わろう。今までの話に関係なくなってしまうかもしれないが、人が自由を発言する時、恋愛においては一概には言えないけれど、大抵浮気をしているし不倫をしている。これが非常に面白い。自分に都合の悪い事・良くない事というのは隠していくのが基本中の基本だがそれが暴かれてしまった時、人は自由を語る。やたら雄弁に語りやがる。非常に"自己中心的な自由"では無いだろうか。極めて傲慢な話だ。要するに、このような話であったり現実的に目にした経験が今の僕をこう考えさせているのだろう。

この投稿を読んだ上でどう思うのかも人それぞれだが、僕としてはこの投稿をきっかけに更なる"自由"に挑戦していけたらと思っている。

 

無論、浮気をしたいと言う話ではない。

 

 

 

 

 

 

 

一、趣味

初めまして。

 

前置きとしてこれから始まるこのブログはTwitterの140字という文字数の制限に限界を感じた僕が日々思った事・感じた事を綴る"趣味"として捉えて欲しい。

 

そしてもう1つ。ズブズブの素人である事を念頭に置いて頂きたい。

これから思う事や感じる事は一時の感情に任せたもので、それを書いている本人がそれほど執筆を得意としていないという事を忘れずに読み進めて欲しい。

上記以外は特にルールとして設けないので、長文ツイートを見るような目で見て頂ければ幸いです。

 

早速今日思った事があるのでまずはそれを書こう。

これを読んでいる人に聞いてみたいのだが、皆にとって趣味とは一体どのようなものだろう。皆にとって趣味の大きさというのはどれくらいのものなのだろうか。

問いかけておいて申し訳無いがそんな事は知ったこっちゃないが、僕が考える趣味は内容がどのようなものであっても「今の仕事ではないが、しかし、いずれ仕事になる可能性もあるもの」の事を指すと思う。

これはあくまでそう思った話で、実際に趣味の意味は少し違う。趣味とは「専門ではなく個人が楽しみとしてしている事柄」だそう。ここで敢えて「いずれ仕事になる可能性があるもの」という理由を付け加えているのには理由がある。

一度は思った事があるのではないだろうか。

「趣味で食っていけたらなぁ」と。

まさに僕も今そう思っている。楽して有名になれたらって結構"マジで"思っている。しかしそう簡単な事ではない。要するに娯楽・嗜好として楽しんでいるだけなのか、"仕事に出来たらな"とやんわりとした希望があるのかと言うところで趣味に対する考え方は変わってくるような気がする。

私が趣味に対し思うのは、自分にとって好きな事なのだから優先順位など無いわけで、それは決して今の仕事や恋愛などプライベートと混同してはいけないような気がする。

こんな事を言うとおかしな話だが趣味はプライベートの中でやるようなものではあるけど他の事とは切り分けて考える必要があると思う。

人と会うのが好きな人は人と話す事を仕事にすれば良いと思うし、黙々と作業するのが好きなら職人になれると思うし、教える事が好きならそれだけの知識を身につければいいと思う。

仕事に対する考え方というのはこれくらいふわっとしたもので案外成立するような気もする。

「えぇ無理好きぃ=やりたい事」

安易ではあるが、本当に自分が探しているものが見つかったりするのはこんな事の積み重ねだと思っている。

僕の友人には「好きな事が見つからない」「趣味がない」「してみたい仕事がない」という方が数多くいる。僕はそれはそれでいいと思う。本当に追い詰められて困った時に見つかる人もいる。

やりたい事がないからとりあえず流されて色々なことをしてみるというのは案外悪くない。よく言えば「今私はこれが一番やりたいんだ」という、ある種の固定観念がないから恐れずチャレンジが出来る。これだけでも十分な理由だと思う。

 

と、一つ目の記事から何を言い出すかと思えば本当に好きな事をただ書き連ねただけではないかといった感じだろう。無理もない。その通りだ。

この文章を書いている今この瞬間も僕は格好を付けているし、少しでも文学的な一面を見せてやろうなどと企んでいるし、更に言えばこのブログが誰かの目に止まらないかとウズウズしている。

そんな下心丸出しの人間が書く物はどうなっていくのか、どこまで続くのか。そんな事は本人の僕でさえ分かっていない。だが、これもまた一つの"趣味"として楽しめそうだ。