車谷の文集

どちらかと言うと考え過ぎるタイプの人

十二、家族

今回もお読み頂きありがとうございます。

 

さて、今回話をするのは家族について。家族と言っても、血の繋がりが有る家族・無い家族、動物として違う家族、家族だと思っている人、形は色々あると思う。不思議な気もするし当然な気もする。僕にとっての家族ってなんとなくよくわかんない所だらけ。

多分好きである必要も無いし嫌いである必要も無いというか、家族は敵でも味方でも無い存在、完全な中立扱いで良いような気がする。自分にとって都合の良い存在なのかもしれない。スタイルってひとつじゃない。だから今回は"僕の家族"に対する僕視点の話をしていく。

僕には父母妹3人弟1人がいる。どれも満遍なく仲良いし、下2人に至っては父は違うし歳も離れているから正直兄弟というより自分の子に近い感覚がある。でもその子らにも愛情はあるし、どうなっても半分は同じだからなって思う。

僕にもいつしか子供ができて愛する妻がいて、とかそういう妄想はしてしまうけど果たして妻を愛しているのか、子供を愛しているのか。そんな事は今ハッキリと言えない。何も分からないから。

でもそういう家族の空気感というものに憧れていて、それが消える事なくある内は、孤独を嫌がっている気がする。

勿論独身を孤独と言っている訳ではないし、そういう"生き方の選択"の一つとしか思っていないが、基本生きる事というのは自分にとっての事だと思っていない。死にも関係してくるかもしれないが、家族がいて友達がいてこそ価値を見出せたし、このクソゲーに納得出来ている。生きる事は他人から見ての事象だと思っている。

きっと僕は家族が居ればいつまでも目標を作り続けて生きる事ができるだろう。遊ぶ事やお金を稼ぐ事も今はまだ全然自分の為にしたいと思うが、やがてそれは無くなっていく気がする。家族の温かみというものを僕は知る事が出来て幸せに不自由なく育てて頂けたからこそ、自分も同様に、死にたいと思っていない限りは家族や大切なものを"たとえ面倒臭くても"つくって生きてやりたいと思う。

 

結局の所家族と言うのは自分にとって一番楽なように付き合っていれば良い気がするし、過ごす時間の長さと言うのは明らかに一番少ないものだと思う。友達とも遊べない、仕事もつまらない、何かしたい趣味とかもない。そうなればきっと残るものはないだろう。でも家族が一つあるだけで心も体も時間もそこに使う事が出来る。

そう考えたら家族の行き着く先、最終地点は「活動理由」なのかもしれない。何かと都合をつける事が出来る。そのようにして良くも悪くも利用価値をつけているのが家族なのだろう。

そこに血の繋がりや種としての違いは必要なのだろうか。家族として必要なものって案外「想い」だけなのではないだろうか。

 

こんな事はあえて、紙に書いて残しておきたいかもしれない。