車谷の文集

どちらかと言うと考え過ぎるタイプの人

三、馬鹿らしくなるよな。

今回もお読み頂きありがとうございます。

 

早速本題に入っていこうと思う。今回の僕はとにかく話したがりなので何卒よろしくお願いします。

 

先日友人と話していて面白い話題があった。彼は今YouTubeをやっているのだが、僕が本当にすごいと思うのは、かれこれ5〜6年程動画投稿及び編集を続けている。友人の事なので敢えてハッキリ言うが、恐らく馬鹿にされた事もあるだろうし、実らなかった時間の方が長かった。

そんな彼とはこんな話をした。

 

大人の言う『その世界で成功できるのはほんの"一握り"の人間だけだぞ』っていう謎の脅し文句、あれマジなんなんだろうなぁ....

 

確かによくよく考えてみれば、まず"一握り"とは実際に何人の事を指すのだろう。更に考えると、"一握り"とは言っても、赤子の手なのか大仏の手なのか。それだけで"一握り"というもののサイズ感は大きく変わってくるだろう。

僕や世間が思うような"一握り"の人間というのは、Jpopで言えば米津玄師さん、バスケットボールで言えば八村塁さん、野球で言えば大谷翔平さん、お笑い芸人で言えば....これは人によるか。

なんとなくだが、まぁ、こんな所だろう。"一握り"の成功者というのを指すのは一般的にこのクラスの所謂化け物や天才などと世間に言わしめるような人達の事なのだろう。

ハッキリ言おう。僕は今から米津玄師さんにも大谷翔平さんにも目指した所でなれるものではない。一般人には天才のフリしかできない。そこに向かって持ち合わせの材料でなんとかするしかない。「相手にそう思わせる」という巧妙な嘘を現実にしていく事しか出来ない。それが今の僕であり多くの世間一般の人の事なのだろう。

では、僕の様な一般人が気付けた"一握り"の人間に共通している事は何か。

「皆、やっている」という事。たったこれだけの事だと思う。寝ていてモデルの仕事が降ってくる事も、風呂に入ってて仕事が降ってくる事も、糞をしていて仕事が増える事も、全てあり得ない。と言うかあり得てしまっては僕達の立場は無くなってまうわ。

成功するかどうかなど本人が一番保証できない。保証してくれるのは周りの影響があってこそのものだろう。その道で素晴らしい功績を残せるかどうかなど、初めから知っていれば皆行動している。未来が読めないから"一握り"の人間に挑戦出来ずに食い込めないのだ。

つまり僕が今思っているのは、非常に安易かもしれないが

「"一握り"の存在を目指して本当に"一握り"の存在になれる人はそれこそ"一握り"しかいないが、そうはならなくとも食う所まではきっと出来る」

と言う事。こんな事を書いている間にもモデルはきっと僕が食べないような見た事ないサラダとか食べているだろうし、見えない所で密かに頑張っているのは皆同じ。

先人が挑戦を続けたのはこれに気付いていたからだろう。実らない事でも全然良いと思うし、結果が出る事が全てではないと思うのは、こうしていつでも自分が納得できる理由を作れるからだと思う。自分を正当化出来る理由があれば結論として成功しているのではないだろうか。

 

とは言えこれだけものを言えて頭で理解して気付くこともできて、もうあとは行動するだけだと言うのに、それでも人はサボってしまう。楽な方に居る方がよっぽど楽しく生きれるからなのだろう。

こう言う所が人間的で素晴らしいと思う。素敵だなと思う。「欲望などには決して負けない!」と意気込んだ側からきっとマクドナルドのポテトを頬張っている。

そんなもんなんだ。そんなもんなんだよ結局人って言う生き物は。地球上で最も賢い生物だと言うのに、本当、馬鹿らしくなるよな。

 

って言う話です。