車谷の文集

どちらかと言うと考え過ぎるタイプの人

五、"嫌い"

今回もお読み頂きありがとうございます。

 

4日間続けて投稿する事ができました。これは偉大な功績だ。僕史上No.1の功績と言っても、過言ではある。これは流石に過言である。

そしてこの5枚目の投稿にしてついに「読みやすさ」というのを意識していこうと思う。ダラダラとしながらお手軽に読めるような、まずは文字数から変えていこう。

 

さて、この攻撃的なタイトルを皆どう受け取っただろうか。

"嫌い"

まぁ、そのままだろう。今日綴っていくのはこの「嫌い」という感情についてのお話。

僕は以前よりこの"嫌い"ということに対して一つ決めている事がある。それは「どれだけ嫌いでも暫くはそれとの関係を断ち切らない」というルール。これが何故なのか説明していこう。

今まで生きてきて皆も一度は思った事があるのでは無いだろうか。「今日の私何かちょっと調子乗っていたなぁ。本当はこんなはずじゃなかったのになぁ。」と。初対面というのは、実は人間関係において非常に面白いもので、人は必ず相手と壁を作るし必ず猫を被るので、本来の姿と言うのその時点では出てこない。なので、残酷だが最初の印象作りを成功しても失敗してもそれがその人なのだとなってしまう。つまり自分ではこんな筈じゃなかったと思っても相手には一度そのように受け取られたらその関係を続けない限り修正する事ができない。そこで相手に"嫌い"だと思われれば尚更近づいていく事は難しいだろう。

そこを僕は逆手に取る事にしている。相手に対して初対面で「何か嫌だな」と思った場合、敢えて関係を続ける。一番ストレスのない解決方法というのはその人を断つと言う事。勿論僕はそれをしないと言う事になるのでストレスは抱えるし悩みも増える事になる。だがそれでもその人には何故か望みをかけて「きっと本人も不本意だろう。2度目で少しはマシになる筈だ」と勝手にチャンスをあげている。

僕から嫌いになった所で相手に大きな被害が及ぶと言う事はまず無い。これが僕なりの優しさなのか冷酷さなのか、はたまたずる賢い所なのかと言った所だが、僕はただ純粋に相手を知りたいと言うその好奇心がなくならない限りは断つことが無い。

こうして今まで人間関係を築き上げてきたわけだが、勿論嫌なものは嫌と割り切って生きていく方が百倍楽なのは百も承知である。ふん。だから僕は他人のそのような考えを否定しないし断ちたきゃ断てばいいとおもう。もしかしたら単純に僕には人間関係を断つ勇気が無いだけなのかもしれない。それは僕にも分からない。

 

この話はあくまで僕視点の話だし同じようにする必要は無い。ただ、こう言う人もいるという感想だけでも残れば嬉しい。

"嫌い"が多い人間より"好き"が多い人間に僕はなりたいだけなのだ。