車谷の文集

どちらかと言うと考え過ぎるタイプの人

六、日常

今回もお読み頂きありがとうございます。

 

僕はふと考える。眠い目を擦り朝弁当を作って会社に行き、定時に退社で1時間かけてジムに寄り、2時間のトレーニングを終えて帰宅。着く頃には0時前でブログ書く余力もなくそのまま泥のように眠る。こんな日常を過ごしている僕でもこれをとても大切に思う。これはとある映画が教えてくれた事だ。

 

最近は疲れているのか余計な愚痴ツイートのようなものもだんだん増えてきているが、本当はこうしてしっかりと言葉にする時間を設けてブログを書きたい。勤務中の暇な時間で余計なツイートをしている。なんたって昨日は特にツイートが多かったなと思う。自分でも昨日のツイートの量には「流石に草」と言ったところだ。

こんな日常を皆は今好きでいれているだろうか。大切に思って1日を過ごしている人はいるだろうか。過半数はただ普通に過ごしているだろう。しかし今のご時世どうしてもそう思う余裕無くただガムシャラに生きている人が多くいる。

僕は今、上に書いたような自分の日常も含めて全て宝物のように見えている。きっといずれは今の仕事は変わり、今まで日常だった事は無くなり、また別の日常が訪れる。今しか体験する事のできない日常に僕は一喜一憂している。そう思うとたまらなく幸せで愛おしいのだ。

いずれ必ず「あの時はこうだったよなガハハ...」と友人と口を開けて手を叩いて笑う日が来る。そう思うと今をどれだけ面白くできるか、ネタを作れるか、思い出を残せるかと言うのを決めるのは他でもない今しかないのだ。

先の事を見て考えて生きているからこそ今ある時間、日常に目を向けてやる事が大切なのだと思っている。

と、こう考えるようになったのは一つの映画との出会いだが、その映画を見ていた時僕にはガールフレンドがいて、映画を見た頃の日常を思い返すとそう言う話になってしまう。照れ隠しにおちんちんでも切ってやろうかと思うがそれでもあの映画の内容は本当に素敵だったな。

最近はパスタにハマっていて、どうせ今日もあぁじゃないこうじゃないと試行錯誤しながらパスタを完成させるのだろう。料理できる男マジカッケェ!もこみち最高!オリーブオイルありますか!という理由ではじまってるのだがこれもまた波は去るのかと思うとやっぱり寂しい。

人との出会いもそう。ここからこの人との日常が始まりやがて変わっていく。それがわかっているから「はじめまして」は一番寂しい言葉にも聞こえてしまう。

 

皆は今幸せなのだろうか。素敵な日常を過ごせているだろうか。そんな事を考えると皆にそういう話を聞いてみたくなる。

 

だからこそ、逆に非日常というのは目立って楽しいのだろう。

今日の投稿はなんだか中身がある様で無い黄昏の文章。