車谷の文集

どちらかと言うと考え過ぎるタイプの人

七、洒落

今回もお読み頂きありがとうございます。

 

この頃は蝉もうるさくいよいよ本格的に夏が始まってしまったなという気持ちだが、昨年の夏は殆ど家に居たので夏らしい暑さを感じる事もなく、季節的なイベントの参加もなかったので、今年の夏はとにかく肌が白い。このまま白さを保っていたい。シミ、紫外線、熱中症、台風。この辺はまさに"怖いめぅ"と言った感じ。

 

どう考えても夏の日に長袖長ズボンを履く様な事、小学生では思い付かなかった。虫取り網に半袖短パン、焼けた黒い肌に冷えた麦茶が似合うクソガキをやっていたあの頃とはもう違い今はお金を稼ぐ事に必死になっている。

あの頃は小洒落た母の買ってきたものを着て親の何かに全てを任せて生きていた。思えばあの頃が一番何も考えずに無邪気に生きていたかもしれない。

だが僕はこのお洒落にどうも引っかかるところがある。

人はお洒落を覚えると途端にシフトチェンジして今までの自分が嘘だったかの様に変わっていくのは何故だろう。性格も趣味も目標も。あれはきっと今まで取り入れてこなかったお洒落を覚えたからだろうか。そして次第に過去を恥じらう様になり、大人という意味を履き違えて道を逸れるなどしてしまう。まさに"洒落"を"酒落"と勘違いした若者の事。

犯罪以外であれば大抵の事は許される世の中だと思っている。勿論酒に落ちる事も勝手だろう。いずれ洒落とはこういうものかと気付きそれが自然と実行に移せる人間になれたら理想的だろう。

その上で、人というのは何故お洒落を感じ取れる様になった途端に素直になれなくなるのだろうか。拘りが邪魔をしているのだろうか。まるで自分が正しいかの様に語りかけてくる人が大勢いる。果たしてその言動・行動は洒落ているのだろうか。そんな人に洒落が言えるのだろうか。

結局、お洒落、まぁ主に服装であったり趣味であったり価値観の事をここでは言っているが、全ては何かの二番煎じに過ぎないし、そこからオリジナルを生み出せる人は数少ないと思っている。だが辿り着いたオリジナルの先にお洒落と言われる未来が待っているとも限らない。決まって最初は変わり者と呼ばれてしまうだろう。

子供では起こり得なかった言い合いが起き、何も考えていなかった時間が動き出す。ここで思う事は、お洒落を覚えた事により人の分岐というのは始まると思う。一つの分岐点というのは既に髪型をいじり始めた時に訪れていたのだろう。お前の事など誰も見ていないというのに。

勿論僕は格好良い格好悪いで考えるとするなら格好良い方に居たいし、格好悪い人間である必要がないと思っている。だがそこに洒落をいえる余裕があるのかどうか。小洒落でも大洒落でもいい。少しはそういった心のゆとりがあるのかどうか。そこを天秤にかけて決めていきたいと思う。

 

本当にお洒落な人なのであれば、泥臭くてもいい。

だが、そんな人に僕は洒落を飛ばしてギャフンと言わせて1発かましてやりたいと企んでいる。

噛み付いた相手が思わぬ強敵で、洒落にならない結果を生んでしまう事だけは避けたいが。