車谷の文集

どちらかと言うと考え過ぎるタイプの人

八、感情の言語化

今回もお読み頂きありがとうございます。

 

今回の私は爆発します。タイトルからどの様な内容を想像するかは人によるだろうが、今まさに爆発させたい感情を言葉にしていこうと思う。

 

結局僕は思うが、感情を言葉にするというのは本当に正解がないし、果てしなくて死ぬまで纏わりつくものなのだろうなと感じる。一言で言えば本当に「面倒くさい」。逆に一言で言わなければ無限の言い換えがある。もはやそれも面倒くさい。

正直言語化されたものにだけ着目して、相手がどう思ってるとか勝手に期待したくせにとか、そういう「言葉になっていない感情」の事などは一切考えずただ純粋に言葉だけを鵜呑みにして生きていきたい。まじで。MAJIDE。

「人は考える葦である」

と、ブレーズ・パスカルはそういうが、どちらかと言えばもう葦で居たい。考えない葦がいい。だからこそ逆に人として生まれて良かったと思うこともあるし人間に感情というものがあって助かったと思う。

友人の相談に乗る時など多少格好付けて答えたりもするが、相手が相談してきた事に対して何を言えば一番喜ぶのか、納得してもらえるかというのはこちら側が察する事しか出来ないし、僕の回答に対して合ってる間違ってると言われればそれはそれで少し腹立たしい。何より突然相談されたものに対して限りなく正解に近いものを言語化するなど、始まりの村的な段階でディアルガが出てくるようなもの。対抗策などこちらは持ち合わせていない。それこそ、"何も期待するな"と強く思っている。

しかし不思議なもので、これだけ面倒くさいというのに相手から相談をされると決まって頭の中はその事でいっぱいになるし、どうしてあげれば少しでも良い方向に向けてあげられるだろうかと考える。もちろん親しい友人であればあるほどその思いは強くなる。人と人は見えないものでちゃんと繋がっているので、所詮僕のような者にでも一応信頼できる友人はいるし、友人に対しては出来るだけ思っている事を包み隠さず伝えてやろうと思う。

今感情を言葉にすることが難しいと感じる人には伝えたい。

潔く諦めよう。怒りを隠すなど、泣く事を我慢するなど、喜びのリアクションをクールに決めるなど、そんな事は必要ない。どう伝えても結果は同じ、という事はないが感情的になってしまう事が悪い事ではない。むしろストレートに心に響いてそれが正しく作用する事もある。言葉を選んで相手の事を考えて伝える事は当然社会に生きる者として必要最低限心得ておくべき事だ。だが友人や彼氏彼女、家族に関してはもう少し大雑把でいいはずだ。そういうシーンで上手く使い分ける事がそのままその人の人間性になってくるし直接信用問題に関わってくると思う。

 

人格者こそ、感情的になっていいし、時に言語化が下手くそでもいい。本当に大切なのは今のその感情を言語化のミスによって見失わずに、もし言語化するのが難しいのであれば無理せずそのままの感情で話す事だと思う。

人間、なかなか素直になれないもんでね。アセアセ。